2023年の母の日は、5月14日(日)です。
ところで「母の日」とは、いったい何がきっかけでできたものなのでしょうか?
なぜ、毎年5月の第2日曜日となっているのでしょうか?
今回は、いわゆる「母の日」の起源について調べてみました。
すると、意外なことがわかったのです・・。
「母の日」の起源について
1861年から1865年アメリカ内部で起こった南北戦争の真っ只中、敵味方関係なく負傷した兵士を看護したり衛生状態を改善させようと、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して地域の女性達を結束させることに立ち上がったアン・ジャービスという一人の女性がいました。
このアン・ジャービスの活動を称え賛同し、南北戦争が終わった1870年に政治活動家であったジュリア・ウォード・ハウという女性が、もうこれ以上夫や子供を戦場に送るなんてことを絶対にしたくないと立ち上がり「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)を発したのです。
実はこのジュリアの活動自体は、残念ながらあまり普及されませんでした。
最初に立ち上がったアン・ジャービスの死後2年たった1907年5月12日、アンの娘であるアンナ・ジャービスが母親を偲び、母親が働いていた教会で記念会を開き、そこで白いカーネーションを贈ったのです。
これがアメリカや日本の現在に伝えられる「母の日」の起源とされています。
そして1914年に、「母の日」としてアメリカの記念日となり、5月の第2日曜日と定められたのです。
日本での「母の日」について
1913年に、海岸女学校(現在の青山学院の前進校)にアンナ・ジャービスからメッセージが届き、海岸女学校にいた女性宣教師たちが熱心に働きかけ「母の日」が徐々に定着していったと言われています。
1931年(昭和6年)頃、昭和天皇の皇后の誕生日である3月6日を「母の日」としたのですが、普及することはありませんでした。
そんな経緯を経て実際に日本で定着したのが1949年(昭和24)ごろからであり、アメリカと同じ5月の第2日曜日に行われるようになったのです。
白いカーネーションはダメ?
戦争によって負傷した兵隊達をケアしていく活動に身を捧げていた母親を偲んで白いカーネーションを贈ったことから、現在の「母の日」に白いカーネーションを贈ることはNGとされています。
一般的なのは赤いカーネーションですよね。
色によって花言葉があるようなのでそれぞれ紹介してみたいと思います。
「無垢で深い愛」「母性愛」「母と子」という花言葉です。
「母への愛」「深い愛」
「女性の愛」「感謝」「上品・気品」
「永遠の幸福」
「軽蔑」「あなたには失望しました」
「純粋な愛」「尊敬」「亡き母を偲ぶ」
一番ポピュラーな色はやはり「赤」ですね。このように花言葉を見てみると、黄色と白は避けた方が良さそうです。
とはいえ、あくまでも花言葉の意味だけです。
それが全てというわけでは決してありません。
白い花というのは、基本的に高級感を漂わせる存在感があります。気にしなくてもいいと言えばいいと私は思います。
みんなは何を贈っている?
「母の日」に贈り物をするとしたら、いったい何がいいのか?悩みますよね。
実際は好みにもよるとは思いますが、一般的にみんながよく贈っているプレゼントを調べてみました。
お花
やはりお花が一番ポピュラーだと思います。
お花を貰って嬉しくない女性はいませんね。
ここは定番のカーネーションを贈るのもよし、もちろん別のお花でもOKだと思います。
「母の日」は、どちらかと言うと「おめでとう」ではなく「ありがとう」の日だと思いますので、極端な話し、気持ちと一緒にカーネーション1本でも母親は嬉しいものだと思います。
お菓子(スィーツなど)
こちらも、貰って嬉しくない女性はあまりいないと思います。
実はお母さんというのは「母の日」に高価なものを貰うことに対して「申し訳ない」「高いのはいらない」「そのお金で自分で好きなものを買って欲しい」「そのお金で孫に何か買ってあげて欲しい」と思ってしまうものです。
もちろん、いい意味でですよ!
人によりけりですが・・。
あまり派手にせず、お母さんの好きなちょっとしたスィーツなどを贈ってあげるといいかもしれませんね。
ハーバリウム
ここ最近流行っているのがハーバリウムです。
えっ?何それ?と思う方も多いと思いますが、ハーバリウムとは簡単に言うと「植物の標本」という意味でお洒落なガラスボトルの中で、プリザーブドフラワーやドライフラワーが専用のオイルに浸されているものです。
こんな感じで見た目がお洒落で可愛らしく、そのまま置くだけで手入れが一切必要ないので、年齢問わずどんな女性でも貰えると嬉しいかもしれませんね。
まとめ
「母の日」の起源は、とても意外な出来事でした。
いつの時代であっても、戦争によって大切な夫や子供を戦争にとられてしまい、悲しい思いをする女性がいたのですね。
言葉や表現の自由がきく現代とは違い、政治的な事に反対をし行動に示していくことは、命がけなことだったと思いますし、とても勇気のいることだったと思います。
「母は強し」と言いますが、まさにそれを実感できる出来事ですね。
そんな出来事が現在に繋がっていると考えると、とても感慨深いものがあります。
今の日本は戦争のない平和な時代ですが、子を思う気持ちは今も昔も変わらないと思います。
そんなお母さんに、「いつもありがとう」という気持ちを常に持っていたいものですね!
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